荒井は宇都宮市出身。旧制宇都宮中学校(現宇都宮高校)を卒業後、苦学して高等文官試験に合格。内務省官僚として警察の要職を歴任した。昭和18年7月、沖縄県警察部長に就任。
沖縄が戦場となる危機が迫るなか、戦況を楽観視していたため疎開政策に消極的だった当時の知事に代わり、県民の疎開・保護に尽力した。
島田叡が沖縄県知事着任後、二人三脚で奔走し1945年3月までに県民7万3000人の県外疎開に成功。米軍上陸により県外疎開が不可能となった状況でも島田知事とともに合わせて延べ20万人の命を救ったとされる。最期は島田知事と摩文仁の森へ向かった後、消息を断つ。今日まで、その遺体は発見されていない。享年44歳。
たじろがず 沖縄に殉じた
昭和19年頃戦況が厳しくなり、沖縄赴任を嫌がる官僚が多くなっていた。沖縄出向の役人も何かと理由をつけて、現地から離れていった。ところが、兵庫県出身の元内務官僚で沖縄県知事だった島田叡と警察部長(現在の県警本部長)だった荒井退造の二人は、沖縄にしっかり根を下ろし、近づく戦乱に県民が巻き込まれないようにと、積極的に県外に疎開させるべく協力し合った。
彼らが疎開させた県民は20万人に上るという。もし彼らの努力がなければ、沖縄の地上戦の犠牲はさらに大きくなっていたかもしれない。一方この二人は地上戦の混乱に巻き込まれ、行方不明になった。
戦後沖縄の人々は、彼らの功績を讃え、摩文仁の丘の近くの小高い森に二人の慰霊碑を建立した。沖縄の高校野球新人大会の優勝校には島田叡杯が、準優勝校には荒井退造杯が贈られることを見ても、沖縄の人々は今もこの二人を尊敬しているのだ。
滝の原精神の真髄を受け継ぐ
文学者で宇都宮高校の校長を務めた笹川臨風氏が「滝の原精神」というものを教え、それを受け継いだと言われている。平成28年3月26日には宇都宮高等学校同窓会より歴史的友好の記念として「荒井杯」が沖縄県高等学校野球連盟に贈呈されている。
宇都宮高は2017年から、学校と生家を往復する新春ランニングを行っている。
偉業を長く語り継いでいかなければならない
荒井の偉業は、戦後70年を経て荒井の母校・宇都宮高校の関係者を中心に、ようやく故郷である栃木県でも光が当てられ、顕彰する機運が高まった。
NPO法人菜の花街道は荒井の生涯や取り組みを紹介する展示会、講演会などを開いて、2016年には、宇都宮市上籠谷町にある荒井の生家の庭に顕彰碑を設置した。
映画「島守の塔」
沖縄戦では、家族や友人、そして官僚や学徒兵などそれぞれの立場での隠されたドラマが多くあったことでしょう。映画「島守の塔」(2022年公開)は第2次世界大戦末期、長期の地上戦が決行された地沖縄を舞台に、県民の命を必死に守る戦場の知事と1人の警察部長のそれぞれの苦悩や葛藤などの生き様を通して「人間の命の尊さ」を描く映画です。
「命(ぬち)どぅ宝」の言葉が、戦争の記憶をいつまでも風化させず「人間としての命の尊さ」を発信しています。